2008年3月23日 00:37
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↑↑財団法人 たんぽぽの家 主催
『社会的企業とアート』シンポジウムへ行きました。
参加費1000円で大学に行けたみたいでしあわせでした☆(・▽・)
私は今、自立支援法で24時間の介助保障を受け、自立した生活を送っていますが、
支援法の条項にある<通勤・通学には介助者を使えない>という条項、ただ1項が妨げとなって、常勤の通勤には介助者を認められていません。
OLになりたいというわけではありませんが、毎日だって動きたい!!!!!
講演も、コンサートも、完全無料、自腹で動くわけにはまったくもっていかない以上は、からだに障害をもっていても<働く>ということの尊厳をもっともっと世の中に伝えてゆかなくては、どこへ行くにも、どこからも交通費も出ないような動き方で、どんな舞台でもやっていくしか選べなくなります。
自立支援法に完全に添うと、「トイレや着替えに介助者を要する人は、一生、障害者年金と生活保護のみの生活から『抜け出せません』」
と 自立支援法そのものが言っている、と言っても過言ではないような矛盾が生じます。
しかしこのままではいけない。
実質的に、生活に介助を要する人は働くな、ということであれば、その精神的な抑圧たるや、
本当に物凄いものなのです。
「私はこれを変えたい!!!!!」と思うのです。
働くこと、収入を得て、暮らすこと。
「命いっぱいに恋、車いすのラブソング」(水曜社)でも、
「障害学研究」に乗せていただいたエッセーでも、
『響きあう身体』(岩波書店「身体をめぐるレッスン 交錯する身体」
編 市野川容孝)の中でも、繰り返し、繰り返し、繰り返し言ってきました。
(財)たんぽぽの家・理事長、播磨靖夫先生は、
場内満席の人々の前に、奇しくも冒頭のごあいさつではっきりとおっしゃいました。
「障害をもつ人の就労をめぐる賃金の低さは、
問題とされるその多くが、今持って、内職以下です」
内職以下。
想像ができますか?
ひと月1万円や2万円を「お給料」としてもらうとします。
あなたなら、それで何ができるでしょうか?
親元を離れて、ひとりで暮らしたいと思うとき、
自分の収入でそれが叶うでしょうか。少なくとも、月2万で叶うでしょうか。
障害者年金や生活保護など、制度を使えば叶います。
「もらう権利だってあります」
と、もうしょうがない、泣く泣く開き直ることはできます。
死なないために、です。
親に依存しないために、です。
わたしもそのように制度を使って公費を使って生きています。
本当に、実際的な意味として、死なないためにのみ、です。
でも、それが、障害をもつ人の生き方の限界なのだというところまで引きさがり、
「あきらめ」たら人間として大切に抱きしめていたい尊厳が、
誇りが、無になってしまう、気がします。
「あきらめてたまるか」
という思い。
「望むところだ、生きてやらぁ!」
という思い。
そういう、自己実現に対する強い欲求が、ある種、私の原点です。
きれいごとではない、「語る」ではなく「見る」ではなく
「必ずや命に代えても具現化します」
という意味での<夢>です。
それが私の生きるエナジーの根源です。
そんな思いが根底にあり、今日お聞きした講演はすべてが素晴らしく、
魅力があり、大好きな<インサイダーアート>をめぐるはなし、NPO法人や、バリアフリーや地域密着をテーマにした中小企業が、障害者も巻き込んで「事業に参画したときに市場で生き残れるか?!」という話し、
もっともっともーっとずっと聞いていたいものばかりでした。
3時間半があっという間でした。
『知的障害をもつ方のイラストを大判ストールにプリントし商品化、
ファッションブランド コムデ・ギャルソンが着目し、期間限定で店頭にディスプレイしたところ飛ぶように売れた』というお話しをご披露くださったアパレル(ファッションブランド)kouboukaiさん、
インサイダーアート(広義の意味では、美術大学、専門学校など、芸術・美術の専門教育を受けていない人のアート作品)ディスエーブルアート(障害を持つ人の自己表現手段としてのアート)の可能性に注目し、世に広める活動を地道に続けてきたエーブルアートカンパニーさんの地域のカフェなどと連携したコミニュティビジネスのモデル、未来への可能性の話しなど、(上記前身は知る人ぞ知る「エーブルアート・ジャパン」)
本当に本当に 私にとっては
興奮で鼻血が出そうな素敵なお話しでした。(・v・)
音楽、絵画、美術がすきだー!!!
写真が、映像が、演劇が、そして人生がだいすきだー!!!!
と、叫びたいような元気をいただいた一日でした!
やるぜ!彩の国 ゆめコンサート!
わたしのライブ!
そしてこれからの夢も!!!
ぜんぶ叶える!
要するに、「人間には無限の可能性があるんだ!」と、
ひとりでいいんだ、
信じてくれるおとなが周りにいれば
わたしのように 純粋な(?)オトナコドモは
やっぱり純粋に感動をして、
何でもがんばれるっていうことです。d(・v・)b
「わたしたちは」と書いてしまうのは何につけ大仰です。
驕りに思えます。
だからね、
わたし「たち」となると解らない。
でも、少なくとも、
わたしは、死ぬまで「生きる」。
リクツじゃないから。
実践で実例になるしかないんだからね。
やりたいことはやる。
夢は叶える。
命が有限だからだよ。
<表現>に一生を捧げます。
ところでね、今日、その、主催の播磨先生の冒頭ご挨拶で、すごく素敵な言葉を聞きました。
それは、アメリカでは<職業>を<ワーキング>のほかに<コーリング>と
呼ぶことがあるということ。
<Calling>!!!!!
だっこの歌にも、あるじゃない!(>▽<)
Calling、それは、呼ぶ声、(意訳で)求める、たましいの呼応のような声、
職業、天から授かりしもの、天職。
総じて、才能に重きがあるような職業を、<Calling>と呼ぶことがあるそうです。
私の歌も
響くように頑張ります。
Calling。
呼びあって出会いながらやりたいことをやりたいと声に出すんだ。
リクツじゃないの。
すべてが止まってはいないのよ。
素敵な一日でした。
おやすみなさい。
FROM だっこ。
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