【1week for 3・11】1日目。ツイッターから発信した朝霧裕のことば。全文。
(140字ずつ書いていたので重複しているところごめんなさい)
-友人の本間久美子さんの発案で「一週間、facebookやツイッターで震災に関連した自分の想い・言葉を呟こう!!」というプロジェクトに参加しています。その1日目。
つれづれなるままに、日記的言葉たち。-
... 震災で。
「何が何でも生きる!」もっと言えば「生き残る!」というあの湧き上がる思いを知った。そして、津波に合われた方原発の近くの方、漁師さん農家さパパママ子供たちみながそれぞれに、憶測で人のことをではなくて、東北は東北から、疎開先は疎開先から【関東は関東から、本人が、本人の言葉でリアルタイムの<今>の想いを外へ伝える大切さ】を知ったんだ。
... できることもあるし、できないこともあるよ。選ぶ行動もあるし、選ばない行動もあるよ。そしてひとりひとりに、目の前の守るべき人、単に収入源という意味ではない一個人の人生としてのやるべき仕事があるよ。それをね「認め合う」「尊び合う」ことの大切さ。それを「絆」って呼ぶんだ、って知った。
忘れることなどないでしょう。今日常を暮している人だって、少し地震があったときの感じる思いや気構えも、3・11以前とはすべてが変わってしまったよ。でもね、人間の、命を賭けて生きる様の、ポジティブな側面を私は見たい。
人間は、一回生きて一回死ぬの。一生分の癒えぬ尽きせぬ悲しみをこの震災で負った方の心を想像で何か書くなんてできないよ。でもね、死ぬ日はいつか私にも来る。そのときに「よく生きた」って、言う、と決めた。津波で亡くなった仲間の為に決めた。詩を書いた。
だから、私は、詩を書いた。今年は沢山。最初は3月16日に。原発の放射能でもう自分もみんなもみんな死ぬのだと思ったから、作詞をメールで友達へ、複数人へ送っておけば、そのうちの誰かは生き残って、詩だけになって、生きられるでしょ?そういう気持ちで書いたんだ。そのうちの一曲を仲代奈緒さんが歌って下さった。それからご縁がつながり出して、色々な仲間と創作音楽ステージができたり、「みえないばくだん」を朗読したり、平和や脱原発を大テーマとしたコンサートも積極的に出て歌ったり。そこで見たのも「希望」だった。
どれほどにどれほどに想像をしても、目の前で親を子を亡くした方の胸中はどうであろうなんて書けない。
でも私は忘れない。
この世に生きとし生ける人も動物も自然も、空も海も風もぜんぶぜんぶ、全部が「いのち」で大切で感謝で「生きる!」という湧き上がる力。災の日、そのあとも、今日も、今も、私の命を助けようとしてくれる、支えてくれる「一緒に生きるぞ!」と、心でそばによりそってくれる仲間のあることを。
私は、一番にからだが動きづらくて、一番に仮設中宅も大変で、一番に有事に切り捨てられる可能性のあるそんな方々の声を、自分のできる範囲できることで見続け聴き続けていたい。そこへ響く、届く、歌が描けたらそれが歌だと思うから。
「伝える」ことの大切さを己の命の使いかたをこんなにも考えた年はない。人は何のために生まれてきたんだろうって沢山考えたけど、「幸せになるために生まれてきた」、生きている人は生きている限り徹していいと思った。
でもその幸せを何とするかがそれぞれなんだ。
自分が幸せであることで、何かを生み出しそれによって人も幸せ、そういう循環を生む役目の生涯でありたい。詩という表現を以て。
3.11後に私が考えていたのはそういうことの、ほんとうにはことばにはしえないもの「誓い」「決意」のようなもの。
みんなが、顔についている両の目よりも心で見ている時代になった。かたちなきすべての想いがたちあらわれて、その多くが「希望」であるように祈る。
朝にに夜に祈る。「希望」を祈る。泣いてしまうほどに希望を祈る。私たちはどちらへと向かえばいいのか考える。
はい、一日目の【1week for 3・11】の日記おわり。
明日も心の中に在るお話を書きます。
I respect for Kumiko Homma&My all dear friends☆
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